古津軽を紡ぐ人
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とにかく自分たちが楽しむ!
伝統と現代を繋ぎながら、
ねぷたファンを生み出す、
津軽藩ねぷた村の挑戦- 津軽藩ねぷた村
- 檜山 和大(ひやま かずひろ)氏
津軽藩ねぷた村は、弘前城の北門(亀甲門)近くにある、体験型の観光施設です。夏の風物詩である「弘前ねぷた祭り」を通年で体験することができ、金魚ねぷたの絵付け体験やお囃子の実演のほか、津軽三味線の生演奏や伝統工芸品の製作、郷土料理の提供など、まさに「津軽を丸ごと体験できる施設」として1981年(昭和56年)に誕生。40年以上経った今も変わらず、国内外問わず多くの観光客を惹きつけています。今回は、ねぷた村で長年、津軽の文化や歴史を伝え続けている、檜山和大さんにお話を伺いました。
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- 津軽藩ねぷた村と言えば、観光客が必ず訪れるような、大人気の定番観光スポットですよね!
- 檜山さん :
- ねぷた村は、現理事長の先代が、弘前ねぷたを常設する施設を作りたいという、まちの人たちからの声を受けて、民間の観光施設として立ち上げたものになります。当時から、ねぷたの実演をしたり、職人の手仕事を見せたりする展示スタイルは変わらず、その中でも少しずつ新しいものに挑戦しながら続けてきました。
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- ねぷた村に入場すると大きなホールで、若手のスタッフさんが津軽弁で弘前ねぷたの説明をしてくれますよね。皆さんの訛りがホッとさせてくれるのか、ほんの僅かな時間で、場の雰囲気が一気に和み、最後には、本番さながら、ねぷた囃子に併せて観客が「ヤーヤドー!」と叫んでいる。そんな空間がとても好きで、何度でも来たくなります。
- 檜山さん :
- ホールでは、本場のねぷたを体感してもらうために、臨場感のある、一体で盛り上がるような雰囲気作りを大切にしていますね。スタッフにも、マニュアル通りでなく、個性を生かして接客するように伝えています。全員が同じ説明をしようとすると本当につまんないんです。その人のキャラクターによって、ウケたりウケなかったりします。それぞれが持っている個性とか、その人なりのお客様の楽しませ方があると思うので、それを尊重しています。とにかく自分たちが楽しんで接客すること。これが大事です。
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- 津軽の夏の風物詩「ねぷた祭り」を一年中体験することができる。
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- 観客の目の前で実演するスタイルは、設立当初から変わっていない。
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- ここまで観客を惹きつけているのは、作り物ではない、リアリティを追及されているからかもしれませんね。檜山さんご自身は、ねぷた村一筋30年以上と伺いましたが、ねぷた村に勤めるきっかけはどんな感じだったんですか?
- 檜山さん :
- 小さいころからねぷた好きで、ねぷた村にも何度も太鼓を叩きに来ていました。高校卒業を前に就職先を決めるとき、「どうせ働くなら自分の好きなことを仕事にしたいな。」と考えていて、「ねぷた村に就職すれば毎日ねぷた祭りできる!」と思い付いたんです。当時募集はしてなかったんですけど、高校の先生が連絡を取ってくれて、今の理事長に面接してもらいました。それ以来ずっとねぷた村で仕事をしています。
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- 一年中ねぷた祭りしたいと思うほど、ねぷたが大好きだったんですね。入社した頃はどんな仕事をしていたんですか?
- 檜山さん :
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最初は接客やお囃子をやっていましたが、金魚ねぷたも作っていました。ねぷた村では色んな金魚ねぷたの商品を手作りで作っているので、スタッフも作り方を習うんです。津軽凧とか津軽焼とか、他にも色々職人さんがいて作っているんですが、金魚ねぷたって誰でも描ける、民芸品扱いだったので、職人が作るっていう認識はなかったんです。
もともと、ねぷたの時に持って歩くために、各町内会の人たちが上手でも下手でも骨組み組んで、描くものっていうのが、金魚ねぷたでした。だから、「描いてればそれなりに上手になるべ。」って感じで練習してましたね。
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- 職人たちが製作している様子を間近で見ることができ、話しかけると気さくに応じてれる。
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- ねぷた祭りには欠かせない金魚ねぷた。
金魚は昔から幸運の象徴と言われ、祭りでは子ども達が持って歩く姿をよく見かける。
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- それまで、ご自身でもねぷた絵を描いたことがあったんですか?
- 檜山さん :
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絵は描いてましたね。ねぷたが終わると、無性に寂しい気持ちになるんですよ。その寂しさを紛らわすために、誰に教わるわけでもなく、家でひたすらねぷた絵を描いていました。
あと、ねぷた速報ガイドってあるでしょ。毎年あれを買ってきて毎日見て、自分の中の一等賞とか決めるんです。自分なりに好きな絵師が何人かいるので。小学校の時は八嶋龍仙さんが一番好きでした。呑龍さんや達温さんの絵も好きですね。
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- 推しの絵師がいるっていうマニアックなお話も出ましたが。やはりねぷたは、描く人によって個性が出るのが面白いですよね。
- 檜山さん :
- 金魚ねぷたにも色々な顔があります。コロナ禍でねぷた祭りができなくなった時、祭りの雰囲気を町中に感じてもらおうということで、土淵川沿いに金魚ねぷたを設置しました。弘前市の依頼で、ねぷた村が製作しましたが、通常ねぷた村で製作している金魚ねぷたと顔が違うんですよ。市長が敢えてその顔にしてくれと言ったそうで、その顔は、「ねぷた本」という、色んな歴史とか作り方とかが書かれている本に載っている、昔ながらの金魚ねぷたの顔なんです。
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- 弘南鉄道大鰐線で7月~8月に運行する金魚ねぷた列車。こちらはねぷた村が製作した金魚ねぷた。
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- コロナ禍に土淵川沿い設置された金魚ねぷた。左の写真と違っているのが分かるだろうか。
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見比べると全然違う!金魚ねぷたの顔にまでこだわりがあるとは!市民のねぷた愛が伝わってきます。
金魚ねぷたは、小さく、見た目もかわいいので、お土産品としても非常に人気ですよね。最近では通販会社のフェリシモとコラボした「金魚ねぷた巾着」が話題になりましたが、県の伝統工芸品に認定されたのは、つい最近なんですよね。
- 檜山さん :
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金魚ねぷたは、民衆にとって一番身近なねぷたで、江戸時代から続いているにも関わらず、ずっと民芸品という扱いでした。以前から、これを県の伝統工芸品にしたいなと思っていて、地元の新聞社にも問い合わせて、50年以上生業として受け継がれてきたということを新聞記事で証明することができました。こうして、伝統工芸品としての資格を満たし、2021年に認定されることになりました。
これを皮切りに、県内の他の場所でも金魚ねぷたの伝統工芸士さんが生まれ、今では弘前だけで3人の伝統工芸士がいて、それぞれ特徴的な金魚ねぷたを製作しています。
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- ねぷた村で、この土地ならではの祭りや伝統を県内外の観光客に伝えてきた檜山さんから、ここでの仕事を通じて、感じていることを聞きたいです。
- 檜山さん :
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この仕事をしていて思うのは、どれほどねぷたが地元の人に愛されてきたのかということ。地元の子ども達が、ねぷた村に来て、夢中になって太鼓を叩いたり、ねぷた絵を指さして絵師のことを自慢げに話すのを見ていると、この先、人口が減って子どもが減っても、ねぷたを好きだっていう子ども達は減らないのかなと思います。
私自身も子どもの頃からねぷた小屋に通って、地元の大人に色々教えてもらいながらねぷたに関わってきました。当時はねぷた小屋の中でテントを張って、ねぷたが出来上がるまで、一カ月くらい生活したんですよ。祭りの当日も、最後尾で、観客が帰っていく中でも、精一杯声を出して楽しんで運行する。それを見て、とにかく自分たちが楽しむことが大事なんだということを学びました。
魅力を伝えるうえで大事なことは、まず自分たちが楽しむこと。楽しんでいるのを見せることによって、自然と周りの人にも魅力が伝わっていくんじゃないでしょうか。
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- 1985年から続く干支ねぷた。時代に合わせてデザインを更新し続けている。初代の虎ねぷたは今でもねぷた村で見ることができる。
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- 古津軽でお馴染みの鳥居の鬼コねぷたを発見!
ディスプレイもかなり凝っています。
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- 伝統的なものを扱いながらも常に人を楽しませるような無邪気なアイディアに溢れているねぷた村。青森県を訪れたら是非足を運んでみてください!