古津軽 古津軽

KOTSUGARUPERSON

古津軽を紡ぐ人

  • 「付け焼刃ではないものを
      磨いていく」
    民俗学が津軽に生きる意味を見出す

    青森県立郷土館
    小山 隆秀(おやま たかひで)氏

岩木山を中心とした地域に古くから受け継がれてきた津軽地方独特の風習や慣わし。そのほとんどは、文字ではなく、仕草や語りにより伝承されてきました。お山参詣を始め、正月等の年中行事、普段の生活に至るまで、人々の暮らしに今も息づくいにしえの人々の記憶。今回は、それらを民俗学の視点から研究している県立郷土館学芸主幹の小山隆秀さんからお話を伺いました。

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津軽地方に残る風習について、地元で育った私も知らなかったことがたくさんあります。今日は、そんな「古津軽」について研究され、ご自身も伝承者として活動されている小山さんから貴重なお話を伺えるとあって、とてもわくわくしています!
小山さんといえば、まずその経歴がとても印象的ですが、ご実家が代々弘前藩の卜傳流(ぼくでんりゅう)剣術の師範を務めてきたと伺いました。
小山さん :
はい。江戸時代の弘前には剣術を教える師範がたくさんいたんですが、血筋で伝えているのは、うち(小山家)だけになってしまいました。親父が宗家で、私は師範というか、継承者として、親父の代わりに教えています。今は土曜日に無料の講習会を開催しているほか、東京や大阪に呼ばれて講習会を開催することもあります。
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子供時代は江戸時代から続く武家屋敷で育ったとか。
小山さん :
武家屋敷に行ったことあります?親父はまだ住んでますが、武家屋敷ってとにかく寒いし、お風呂も薪で沸かすんですよ。家にあるものは全部古いものでしたね。
一人暮らしをするようになって、家の中で雨の音がしないとか、スイッチ一つで風呂が沸かせるとか、機械で餅つきができることに感動しましたね。
  • 弘前市仲町(なかちょう)地区には、江戸時代の武家屋敷や当時の町並みが残されている。
  • 中には昭和後期まで使われていた屋敷も。釜戸のススが生活感を醸し出す。
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幼いころから古いものや歴史に触れていたことが、民俗学を学ぶきっかけになったのでしょうか。
小山さん :
大学では元々幕藩体制の研究をしていたんですが、津軽為信が秀吉に鷹を送ったとか、歴史を学んでも、「だからどうしたのよ」っていう気持ちが学生時代はあって。そういうことって、我々の生活に直接には関係ないじゃないですか。自分は、もっと暮らしに近くて実感のあるものを研究したいと気付いたんです。
小さいころは古いものに対して反発してきたし、不便で意味のない事だと思っていたけども、経緯を紐解いてみたら実は何百年も続いてきた風習だったとか、そういうものが津軽にはたくさん残っている。小さいころからそういうものに直に触れて知っているから、ここで研究しないと、今までの歴史が途絶えてしまうんじゃないかと思ったりして。自分の生きている理由というか、居場所を見つけたような気がしたんです。
風習というのは、文字だけではなく、語りや仕草、形(かた)で伝わったものです。しかも、一代や二代ではなく、何世代にもわたって繰り返されることで成熟し、その土地の独自性になっていく。
今、国際的な紛争が起きている地域がありますが、ああいったことが続くと、世代も住んでいる地域も分断されて、自分達のルーツだとかアイデンティティが分からなくなってしまうんじゃないかな。
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小山さんが研究されているお山参詣も、津軽で受け継がれてきた風習の一つですね。
小山さん :
お山参詣の特徴は、強力な指導者や組織がないのに続いているところにあります。
山岳信仰自体は、日本各地にありますが、通常は神社や寺の指導者がいて、儀礼だとか作法とかがあって、組織で活動している一方で、お山参詣は、だれも強制していないのに、民衆が自主的に続けてきた不思議なお祭りなんです。
  • 旧暦の8月1日に集団で登拝するお山参詣。集落ごとに精進潔斎した人々が白装束姿で岩木山山頂の奥の宮を目指す。
  • 登山囃子はねぷた囃子とも異なる特徴的な音色。
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一年に一度岩木山に登るという風習が、地域ごとに自発的に続いてきたというのは興味深いです。津軽の人の岩木山愛は半端ないですよね。アイデンティティの一部というか。どうしてなのか気になります。
小山さん :
津軽の人にとっての岩木山は、昔から特別な存在でした。江戸に出張した弘前藩士も、長屋の屋根から岩木山の方角を見て拝んでいたとか。今でも拝む人いますよね。
そもそも、昔の人にとって山というのは、人間の領域を超えた異世界であって、一年の限られた時期にしか登れない、神秘的な場所であったと言われています。自然に対する畏怖の念が、山を神様として崇める信仰に結びついていったと考えられています。
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山が神様だとしたら、岩木山という存在を大切にする気持ちがよく分かる気がします。
岩木山と言えば鬼の伝説も残っていますね。
小山さん :
津軽の鬼は、自然の神、土地の神みたいな感じだと思っています。土地に古くからいる精霊のような。彼らは言うことを聞かないんですよ。飼い慣らされていないっていうか。野菜でいうと、普段我々が食べている野菜は、人間に飼い慣らされたものです。食べても別に腹を壊すことはないけれども、山菜は食べ過ぎるとお腹を壊します。良いところもあるけど暴れることもあるというか。鬼はそういう意味で人間に飼い慣らされていない、未開発の自然そのものを現わしているように思います。

岩木山は多くの恵みをもたらしてくれる一方で、命をも奪うような荒々しい存在でもある。人間界と自然界の緊張関係みたいなものが、鬼伝説に表れています。
  • 巌鬼山神社の拝殿にある大きな鬼の面。神社のある十腰内(とこしない)地区には、人間の娘を娶ろうとする鬼の物語が残されている。
  • 鬼沢地区の鬼神社(きじんじゃ)。岩木山の鬼が干ばつから集落を守ったという。鬼沢の人たちは、鬼を恩人として祀っいる。
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鬼といえば、小山さんは妖怪にも詳しいんですよね。もしかして実際に会ったことがあるのでしょうか?
小山さん :
水木しげるの影響で昔から妖怪好きで、昔友達と弘前城に探しに行ったこともあったんですが、残念ながら会ったことはありません。
津軽の妖怪の特徴は、姿がないことです。絵にかいてあるのは江戸前の妖怪で、古い妖怪というのは「気配」だけなんです。
今でもそうですが、得体の知れないものは、皆怖いですよね。伝染病も不幸ごとも、昔は妖怪や魔物の仕業として、大人も子供も恐れていた。特に伝染病は、特別恐れられていました。
興味深い津軽の年中行事の中に、「年越しの日に目に見えない神様を迎える家」というのがあります。年越しの日に、家の玄関か、部屋の隅にお膳を二つ用意し、家の主が玄関を開けて、一人芝居をするんです。「どうぞお座りください。」「食べましたか、帰ってください。」って。ここでもてなしているのは、伝染病の神様と言われていて、家に入れない代わりに玄関で御馳走して帰ってもらうという風習です。
昔から、年越しの時間の切れ目は不安定な時間とされ、年神様のような良い神のほかに、得体の知れない連中も来ると信じられていました。
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お山参詣、鬼伝説、妖怪、神様。津軽の人たちはそうやって、「目には見えない何か」の気配を感じとって生きていたんですね。
小山さん :
戦乱を生き延び、疫病を乗り越え、飢饉を乗り越え、今の私たちがあります。昔の人たちの祈りが、形を変えて色んな行事とか、芸能とか、信仰になっている。その重みが我々には分からなくなってしまっていますよね。田舎館のボーノ神送りだって、もともとは疫病の神を送る行事です。今はユニークなお祭りのような感じがしますが、昔はみんな必死にやっていたと思います。村が壊滅しないように。
  • 「虫」「ボーノ神」を村の境に置く風習は、疫病や厄災をもたらす悪霊から集落を守る意味もあったのだそう。
  • 飢饉と疫病は同時に起こったのだとか。津軽地域にも飢饉と疫病の死者を弔う供養塔が数多く残される。
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今、民俗学という分野から津軽の風習を研究している小山さんから見て、津軽の未来について何を感じていますか。
小山さん :
なぜ津軽が、いい意味でも悪い意味でも、中央と異なっているのかということ、その独自性というか、付け焼刃ではないものを磨いていくしかないんじゃないかなと思います。
最近、大阪で開催していた剣術の講座に来ていた方が、岩木地区の地域おこし協力隊として移住して来ました。彼からすると、我々が当たり前だと思っていることの中に、当たり前ではない、ここにしかないものがたくさんあると言います。県外の人の方が、分かるんでしょうね。
出来れば、我々自身もどこかでそれを感じ取って、喜びを見出していくというか、ここに生きる意味を見出していければいいなと思います。民俗学はそのお手伝いができるのかなと思います。