PERSON
古津軽を紡ぐ人
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木の素質を見極め、木と向き合い、
先人庭師の想いと対話しながら
鋏を入れる。
庭に育ててもらっている感覚です。- 大昭造園
- 小田桐 盛人(おだぎり もりひと)氏
大石武学流庭園は、幕末から昭和初期にかけて津軽地方を中心に発展した日本庭園の様式です。その築庭の極意は、大石武学流の宗家にのみ継承されてきました。
今回は、そのうちの一つ、明治40年に宗家小幡亭樹により築庭された盛美園において、庭園を守り続ける庭師の小田桐盛人さんにお話を伺いました。
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歴史ある盛美園の庭を守っている庭師さんにお会いできるなんて光栄です!
早速ですが、造園業ってどんなお仕事なんですか?小田桐さんが庭師になったきっかけも聞きたいです。
- 小田桐さん :
- 造園業は、庭づくりから庭の管理までやります。植物や樹木の植栽や剪定だけでなく、地盤の整備や樹木と岩の配置やデザインまで様々。私は小さいころから父親の仕事を手伝わされていました。ひたすら父や先輩から庭師の仕事を叩きこまれました。
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- お父さんは厳しい人だったんですか?
- 小田桐さん :
- 厳しいっていう程度を超えていました。はしごも命綱もないのに高い木の上に登れとか、一人では持てないような重たいものも運べとか言われたものです。今だったらパワハラになるけどね。高い木に登れない、重い物が運べないなら、どうしたらできるのか自分の頭で考えろって。誰も教えてくれない。だから、本当に庭師の仕事が嫌だった。ほかの仕事に逃げようと思ったけど、父親には優しい一面もあって、いつもそれに騙されて庭師の仕事に引き戻されていました。
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- 「修業は大変だったけれど、今なら先輩たちが言っていた意味が分かる。」
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- 盛美館から見た庭園
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- はじめて大石武学流庭園を手掛けたのは?
- 小田桐さん :
- ここ(盛美園)が初めて。15年位前になるかな。たまたま全国から集まった協議会の親方衆の技術指導を受けていたら、ある親方が盛美園の園主に、「あの人に盛美園を任せなさい。」と自分を推薦したんだそうです。最初はびっくりして「自分にはできないです。」って断ったんですけどね。技術が上手とかそういうことでなく、なんでもやるから目に留まったんだと思います。子どもの頃から、父親に無理難題を突き付けられるたびに、自分の頭で考えながらやってきたから。
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- 庭師として長年造園に携わってきた小田桐さんでも、大石武学流庭園を手掛けるようになって、大変だなと感じたことはありましたか?
- 小田桐さん :
- この庭園は、地面を掘ることも、木を切ることも文化庁の許可が必要なんです。補助金もなく、予算もない中で、100年以上前の築庭技術を踏襲しながら管理して後世に残していかないといけない。現代の技術を使って土地改良したり剪定したりすることは簡単だけど、それは絶対に許されない。石の向きや高さまでも自分の勝手にはいかない。補修は全て測量して元の高さや位置を記録して、セメントではなくて粘土を一から調合して使う。最初はやっぱり、不便だし制約ばかりで自分の思い通りにできないことに苛立つこともあった。子どもの頃から庭をやってきたけど、こんな経験は初めてだった。
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- 100年前から変わらない盛美園の晩秋の風景
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- 小田桐さんの剪定道具
庭師の 道具は、一人ひとりの身体に合わせて作られており、同じものは一つとしてない。
- 小田桐さんの剪定道具
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- 100年以上も続く庭園をそのままに保つのって、とても大変なことなんですね。
- 小田桐さん :
- 大変さもあるけど、歴代の庭師たちが受け継いで守ってきたものに対して、威張った態度なんてとれないなと思うようになりました。決して自分の思い通りにしてやろうとか、庭や木を見下して仕事をしては駄目。無理矢理言うことを聞かせようとしても、そうはいかない。木一本一本の素質を見極め、ひとつひとつに向き合いながら鋏を入れる。この大石武学流庭園に携わるようになってから、仕事への向き合い方が変わったように感じます。「庭に育ててもらっている。」そんな感覚です。もっと早く大石武学流庭園に出会いたかった。
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- 1,300本近くある盛美園の庭木の状態を守るのは、労力と忍耐が要る。
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- 次の世代に引き継ぐため、従業員も作業に加わり、技術を覚える。
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- 庭園って人工的なものでありながら、植わっている植物はとても自然に見えます。そういったところに庭師の極意があるんですね。
- 小田桐さん :
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この庭を造った小幡亭樹という人はすごい。本当に隅々にいたるまで自分の思いを巡らせて造ったんだということを同じ庭師として感じる。植えた木がどう成長するかなんて普通分からないでしょ。木をよく理解していないとこういう庭は造れない。
その庭を受け継いできた庭師達も、築庭した小幡亭樹の思想だったり、先人の庭師の想いと対話しながら庭を育ててきたのだから、同じくらいすごいことだと思います。それを感じながら仕事ができるのもありがたいことですよね。
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- 色々と日本庭園を手掛けてこられたと思いますが、大石武学流の庭はどんなところが違いますか?
- 小田桐さん :
- 大石武学流では、庭を神様のものとして考えて造られているのが一番の特徴です。例えば、礼拝石(らいはいせき)は通常の日本庭園でも見られる造りで、庭が一番よく見える位置に配置されますが、津軽における礼拝石は、神様にお供え物をする場所となっていて、人が座ってはいけないことになっています。また、沓脱石(くつぬぎいし)は、通常縁側に上がる時に使われるんですが、大石武学流の様式では人が使うには離れた位置にあり、実用的ではない。これも、神様のためのものだと言われているんです。
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- 家の庭に神様が住んでいるなんて、独特の世界感ですよね。大石武学流庭園は座敷から鑑賞する座鑑式庭園で、人が庭を歩き回る回遊式庭園でないというのも、そんな背景があるのかもしれませんね。
- 小田桐さん :
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京都から来る庭師さんも、大石武学流の庭園に入る時は必ず手を合わせてから入ります。他の庭園ではそういうことはしないそうです。
興味深いと思うのは、津軽では正月家に神様を招くとき、庭師も招いたそうです。その庭師が「そこは神様が通るから雪を寄せなさい。」と家主に指示したこともあったと。庭師って家主よりも偉かったらしいです。
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- 津軽では、庭師は神様と家を繋ぐような神聖な職業でもあったんですね。
- 小田桐さん :
- 身が引き締まる思いです。
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- 大石武学流庭園は座敷から眺める座鑑式庭園と言われている。
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- 神様はいつもここから見守っているのかも。
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- 庭って近年はあまり取り入れないお家も多いですよね。
- 小田桐さん :
- 今は庭造りよりも庭の解体の仕事のほうが多いんです。でも、庭は気持ちにやすらぎや余裕を持たせてくれる場でもあるんです。囲まれてると何となく安心するでしょ。家にいても、緑や自然を楽しむことができるのが庭の良いところ。庭がなくなっているということは、現代の生活に余裕がなくなってきているということなのかもね。
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- 小田桐さんのお話を聞いて、自分の庭を育ててみたいなという気持ちになりました。
- 小田桐さん :
- 私も実は自宅にミニ大石武学流庭園を造ってみたんですよ。宗家じゃないので正式なやつではありませんが。余裕がない今だからこそ、自然と繋がって自分を癒す場所を作りたいものですね。